黒兎月ですよっと
 
春日山城行ってきた

2018-05-26 Sat 13:47Σヽ(゚∀゚;)トウコウ
2018年4城目は越後で最も有名であろう城、春日山城です!

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最寄り駅はその名の通りの春日山駅。
駅前は意外なことにこれと言ったものがありません。
とは言え近くには大きめの道路があり、
それなりに移動すれば色々あったので駅前だけ閑散としてる感じ。

んで、春日山城は駅からは多少距離があります。
大体20分ぐらいかな?
ただルートは簡単かつ今回は城の写真多めなので、
城の根本付近までの写真は割愛します。
ざっくり言うと西に進み突き当たりを南へ、
春日山町交差点を西へすすという2回まがるだけでOK!

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上記の手順で進むとまずこのような看板&建物が見えて来ます。
上越市埋蔵文化財センターです。
色々展示物ありますので、行きに行くも良し、帰りに行くも良しですが、
自分は行った時間にまだ開いていなかったので帰りに寄りました。

また、看板では春日山の全貌がわかるのでまずはここでイメージを掴むのが吉。
見所スポットも記載されているので大変良いですが、
最初は謙信銅像を目指すのがおすすめです。
銅像~宝物館あたりの道に上記の看板+α的なパンフレットがあるからです。

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さきほどの建物の前にある銅像。
ええ、ここにも銅像があります。(マップにあったのとは別物)
謙信は武将の中でもエピソードや人柄で人気もありますし、映える要素高め。
そんなこともあってかこんな感じで銅像化多いのかな?

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銅像の前を通り過ぎ、西に向かうといよいよ春日山の登り道が始まります。
こちら最初の分岐点的なところで左に行くと大手道が復元されており、
周囲が開けていることもあって眺めはなかなかかと。
ちなみにどっちに行っても本丸方面に向かえますが、
先程話したように銅像を目指すため直進。

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先程の道を登って行くと見えてくるのがこちらの銅像。
高台の上にあるので、かな~り見上げる感じになります。
南方面を向いているような感じですから、
春日山城から信濃あたりを伺っている様子を再現しているのでしょう。

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銅像下を通り過ぎ、三の丸方面を向いた景色。
当たり一面緑で写真だと少々奥行きや規模感わかり辛いと思いますが、
傾斜の凄さやうねった道の長さなど結構圧巻な景色の一つだと思いますし、
春日山の規模感を最初に感じられるところではないかと思います。

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先程の遠景で見た道の中程、
右手にある直江屋敷方面に抜ける道が本来ならここにあるのですが、
土砂崩れかなにかで封鎖されているみたいでした。

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甘粕屋敷、米蔵櫓跡などの写真。
これら一帯を総称して三の丸屋敷と呼ぶそうで、
それぞれの屋敷は段違いに作られて配置されていました。
また、北条からの養子で有名な景虎屋敷もここらしい。
城跡内でも良好な状態で残っている土塁があり、
当時はこのよう土塁がいたるところにあったと想像されるそうな。

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そういえば写真のっけてなかったけど、
春日山にはこんな感じの看板がいたるところにあります。
何の跡地なのか、簡単な背景等を記載されており大変親切です。

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写真右手奥に曲輪らしきスペースがあるのわかりますかね?
春日山城は現在では立ち入れないけど、
明確に曲輪スペースあるよな~と思えるところが至る箇所にあります。
最初に見たマップで緑の段になっているところは特にわかりやすいです。
連結とか配置具合を見ると現存のだけだと不自然な感じもするので、
当時はもっと複雑かつ多数の配置があったのかなと想像できました。

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二の丸跡。
本丸一帯の東一段下に位置し、本丸へ至る道はこの二の丸をグルッと
回らないと登れないようになっています。
(写真は二の丸内の写真なんでわからないと思いますが)
なので道を塞ぐ兵士が入るスペースだったのでしょうし、
井戸跡などもあることから防衛の中枢施設だったのが伺えます。

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天守台&本丸エリアの写真。
最初の写真左手には春日山であることを示す石碑があります。

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本丸から見下ろした春日山の景色。
かなりの絶景ですし、遠くまで見通せているのがわかりますね。

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本丸まで行きましたが春日山の見所はまだまだあります。
本丸を越えて今後は西側に降りていきますと
まず見えてくるのがこちらの井戸曲輪。
裏手側は連郭式的な曲輪配置になっており、
まず見えてくるのがコチラというわけですが、
なかなかに井戸が大きく、ここはあまり防衛目的ではなかったのでしょう。
本丸に近すぎますしね。
なお、今なお水が満々と湧いているそうな。

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本丸から後ろに降り道。
何かアングル的にすっげー好みの写真とれたんで思わずアップ。

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上杉景勝屋敷跡。
言わすもがなですが、謙信の後継者となった景勝の屋敷跡です。
景虎とは本丸を挟んで反対側に合るイメージで配置されておりますが、
こちらは三の丸付近より本丸に対して距離が近いですね。
また、段々状にはなっておらず、各スペースは独立していました。

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こちらは景勝の屋敷跡と鐘楼の間(だったと思う)ですが、
このように深く区切られているのが確認できます。
各曲輪郡は連結しないようになっており、
一段下の周囲をぐるっとまわって移動するような形になっていました。
イメージ的には二の丸あたりに作りが近いのかな?

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御成街道。
名前の由来は時の関白が通ったことに由来するそうな。
先程の景勝屋敷跡近くから行くことができ、
柿崎屋敷跡方面に続く狭めの道となっています。

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柿崎屋敷跡。
写真は遠景でとったものですが、
春日山の中でも最も大きな曲輪の一つであります。
実際他と比べて一線を画する広さを持っていました。
こちらの曲輪が春日山を登り始めたころのあった分岐点につながっています。

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道を戻って本丸から下り、今後は北手側の方に戻ります。
そしたら写真のような、護摩堂、毘沙門堂などが見えてきます。
謙信のエピソードでよく出てくる、出陣前に籠もったと言われる毘沙門堂ですね。
また、これら一帯の施設群、本丸とかを合わせて実城と呼ぶそうな。
よく敬称として出てくるあれですね。

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実城エリアから直江屋敷方面に降りていく際の道。

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直江屋敷跡と直江屋敷に至るまでの連郭式の曲輪。
上下三段で構成されており、曲輪間は中央にある道でつながっています。
兼続が有名ですが、直江家は謙信の父為景の代から重臣として活躍しており、
それ故のこの場所であろうと想像できます。

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空堀、千貫門
先ほどの三段の曲輪の下にある大きめのエリア。
春日山神社とクランク状の道がつながっており、
三方を土塁&土手で囲まれいます。
中々複雑な地形をしているところですが、
色々考えながらみると面白いエリアなのでじっくり見るのがオススメ。

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春日山神社への道。
緩やかですがぐるっと回るような道が形成されています。

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写真だけだと何かわからないですが、地図上は中城と書かれたエリアあたり。
現在ではこのようになっていますが、
当時はこっち方面にも段々状の曲輪群が形成されていたと思われます。

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その他、城の根本あたりの写真色々。



以上、春日山城でした!
写真は結構絞って載せたんで、見せた所以外にも見所はたくさんありますし、
山城として名高いところだけあって非常に楽しめる城でした!

また、今回ブログには書いていませんが、
近くに林泉寺、ものがたり館、東城砦など
歩いていける範囲で他にも見る価値があるものがたくさんあります。
上越に行った時には是非ともぐるっとまわって見てください!


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高田城行ってきた

2018-05-23 Wed 23:40Σヽ(゚∀゚;)トウコウ
2018年3城目は人生初の新潟上陸!(多分)の流れで高田城。

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今回GWに3城行ってこの城で2城目。
なんとなく分かると思いますが、最終的目的は春日山城行くことなんで、
ついでに近場のこの城も行ってしまおう!がこの城行った理由です。
ただ、戦国時代すきーとしては、ぶっちゃけあんまりこのお城は興味ないんですよね。
できたの関ヶ原以降だし、これといった目立ったエピソードもないですから。
まぁ、そんな前置きなんでサクサクッと感想書こうと思います。

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最寄りはもちろん高田駅。
上越あたりへの旅行ついでいくのが良いかなっと思います。

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高田城も駅から非常に近いので城跡までの道筋は省略です。
上記は城跡近くで見られる看板。
高田城は家康の息子のための城かつ天下普請で作られたものでもあるので、
なかなかに立派だったのが伺えます。
また、居住に難がある春日山とは違い平野部に降りてきているので、
典型的な平城のつくりなっていることや、
当時は現在よりも水を引いていて周囲を完全に堀に囲まれていたのが伺えます。

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その堀はこちら。
残っているのは城の西側だけですが、規模的にはかなり大きいのがわかります。

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パッと見ただの道路ですが、
このあたりと奥に見える陸上競技場あたりが三の丸にあたると思われます。

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高田城のシンボルとも言える三重櫓。
城の規模にしてはかなりこじんまりしているな~と思ったんですが、
大阪冬の陣前で工事を急いだ事実などがありここらへんが原因らしい。
また、江戸時代の城なのに石垣がなく、
土塁が採用されているのも大きな特徴の一つらしいですよ。

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極楽橋。
二の丸と本丸に通じる木橋として設けられています。
現在のものは復元されたもので旧形状を再現すように努めたけど、
強度や法の問題で目に見えない場所等は鉄筋コンクリとからしい。


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かなり色あせているけど城内にある看板の一つ。
綺麗なのが多いけど、こんな感じにまでなっているものも少々。
んで、ここの看板にも書かれている通り陸軍に治められていた時もあるそうな。
城跡は結構なスペースがありますしよくあることではありますが、
歴史的背景として誘致が行われた~とか色々あって、
高田城ではここらへんの話もちょいと見所となります。
(明治まで目ぼしいことがないともいうが)

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本丸内の土塁。

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本丸跡石碑

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三重櫓
先程述べた明治近辺とかの話が多く、
江戸時代周りは歴代藩主の話とかで華がある話や資料は少なめでした。


以上、サクッとでした高田城でした。


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飯山城行ってきた

2018-05-23 Wed 23:02Σヽ(゚∀゚;)トウコウ
2018年2城目は長野の端っこにある飯山城に行ってきました。

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信長の野望とかやると分かる通り信濃と越後の国境近く……
要は上杉&武田の最前線のお城的なところですね。
地図見ても長野市から新潟市への道にあるようなところで、
交通手段が限られていた昔では山間部のこの道は要所の一つだったのでしょう。

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最寄り駅は北飯山駅。
長野市からもサクッと行ける距離にあり、
何より隣の飯山駅には新幹線も止まるので実はかなりアクセスが良いです。
今回自分は長野までバス⇒電車で北飯山までというルートで行きました。

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飯山城北側の登り口ところ。

駅~城跡までの写真は載せませんでしたが、道中は至ってシンプル。
駅前の道を突き当たりまで南進し、突き当りで左に曲がり進むだけ。
時間にしても5分程で行ける距離です。

写真からもうっするわかると思いますが、
飯山城は丘陵をならした平山城で規模的にはさほど大きくありません。
個人的には要所にあるぐらいだから結構ごついのを想像していたのですが、
意外とこじんまりしていたんだな~というのが最初の感想。

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登ると最初に見えてくるのはこちらの弓道場。
写真右手に看板があるのわかりますかね?
あそこあたりが南中門跡と呼ばれている跡地になり、
この門は南大手門から入り、三の丸へ続くための門だったらしいです。

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今しがた話題に上がった南大手門がこちら。
とは言え実はこの門本当に飯山城の門か不明らしいです。
明治に取り壊しが始まり、
飯山城にあった15の門は各地にうりに出されてしまったためです。
ただ、建物の部材からは飯山城のものと同じ部材の様式ではあるそうです。
というわけで関係があるだろうという考えのもと、
移築復元されたのがこいつらしいです。

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道を戻り弓道城の脇を抜けて登っていくとこんな感じで曲輪が見えてきます。
形としては非常に分かりやすいですが、
これといって特徴のある感じはしないですし、
各曲輪の連結もあまり工夫がある感じには見えませんでしたね。

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二の丸方面へ登る階段

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二の丸のあたり。
御殿跡の説明看板とかがありましたが、
こちらもちょっと開けた広場という感じでこれといって目ぼしいものはなし。

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枡形石垣・本丸門。
つまるところ本丸への出入り口ですね。ここがいっちゃんの見所かと。
規模は五間程度で、石垣との間を渡すように設置されていたらしいです。

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飯山城跡の説明看板。
本丸にある看板です。

軍事交通の要地であったこと、梯郭式であるこの城の説明、
上杉&武田あたりの歴史がちょいと書いてある感じ。

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本丸の写真。
何か祭壇的なものがありましたがこれといったアピールはなかった模様。

最初のほうにも書いたとおり、
要地にあるってことでもっとすごいのを想像していたんですが、
実際に行ってみると意外なことにかなりシンプルな感じでしたね。

以上、簡単ではありますが飯山城でした!


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滝山城行ってきた

2018-04-22 Sun 12:42Σヽ(゚∀゚;)トウコウ
2018年1城目は滝山城に行ってきました。

ってか滝山城すっげーー!!!

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いや~2018年は3ヶ月もたってしまいましたが、ようやく今年初のお城巡りです。
(ブログあげたのはさらに遅れていますが)
なんだかんだ遠征がないとか、他にちょいしたいことがetcの理由で
なかなかタイミングがなかったもので……

まぁ、それはいいとして滝山城行ってきたわけですが、
初っ端にも書いたとおりすっげーいい城跡でした。めっちゃテンション上がった!
なんつーか、八王子と鉢形と小諸を合わせたような良さが見られる城でした(伝わらない)
では、感想かいていきますよー

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近場の駅としてはいくつか選択肢があるですが、今回自分は拝島駅から徒歩で行きました。
また、登り始めは滝山城跡の南側、滝山街道側から登りました。
ただ、少々距離があるので結構歩きましたが、天気も良かったので散策がてらという感じで、
時間にすると拝島~登り口までで70分ほど。
まずは入り口までの道順をざっくり紹介していきます。ちなみに道順は結構単純です。

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まずは駅の南口を出てすぐにある拝島駅南口の交差点を右手(写真奥)に行きます。
ここからはドンドン道沿いに進んでいきます。

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途中多摩川を渡りますが、天気が良いとなかなかいい気分になれます。

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橋を渡ったあとの最初の信号で左に曲がります。

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すると秋川に出るのでそれを北側方向に川にそって歩きます。
写真のように歩行者用と道路用があるのですが、ここで歩行者側を行くように注意。

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しばらく進むと東秋川橋が見えてくるのでこれを渡ります。
そしてこの橋を渡ったらあとはず~~~と道沿いに進むだけです。
途中アップダウンもありますが、滝山街道にはイートインもあるコンビニがあるので、
そこでひと休憩を目標に頑張って歩きましょう!

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滝山街道にはこんな感じで結構でかでかと看板あるし、見落としはあまりしないと思いますが、
入り口は街道から小道に入る感じなんで注意。

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先程の看板近くにはこの様に滝山公園の案内看板があります。
滝山城跡とニアリーイコールだと思って大丈夫です。

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小道から入った入り口付近はこんな感じで風情があって初っ端から良い感じ( ´∀`)bグッ!
ちなみに標高160mほどの丘陵地にあるので少々登りますが、
実際の所は徒歩で登って下って来た分をもっかい登る感じですねw

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ちょっと行くと写真のような小さい神社がありました。
こじんまりとしてはいますが、一応手入れはされている雰囲気。
がしかし、詳細な説明看板等はなかったので何のためのものかはよくわからず、
ふーんと軽く見て次に進みました。

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そしてちょこっと登ると早速遺構的なものが見えてきます。
そこそこ良い感じに写真とれたので、パッと見でも伝わりますかね?
滝山城はこんな感じに、ガッツリ遺構が感じられるところがそこら中にあって大変素晴らしいです!

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滝山城はところどころにこんな案内看板がたくさんあります。
現状の位置がどこか、また同時の想像図なども併記して載せられているのでかなりわかりやすい。
またこれ以外にも、滝山城全体を説明するパンフレット的なものが、
大きめの看板が設置されているところには置かれています。
滝山城全体を理解しながら見る上では大変便利ですので是非Getしましょう。

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こちらは天野坂から枡形虎口に向かうところ。
天野坂は大手口と思われるもので、城兵が効果的に攻撃出来るように
両サイドが高台になっていたりと工夫されているみたいです。

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天野坂を登り終えると大きく二手に道が別れます。
一つは城の西北方向にある、山の神曲輪方向に向かうもの。
一つは本丸方向に向かうものです。
上記は前者への道になります。

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小宮曲輪(家臣屋敷)
なんでも小宮氏なるものが家臣として活躍していたとの説明あり。
そこらへんからついた名前なんでしょうね~
ちなみに結構な広さがありますが、開けた場所となっています。

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小宮曲輪枡形虎口の横にある堀。
山の神曲輪方面からの入り口に当たるところですが、通路も狭く、堀で大きく区切られています。
城兵は頭上や側面から攻撃でき、攻める側にとっては戦々恐々な場所となっていました。

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山の神曲輪。
入り口からず~っとこっち側に来ての一番奥にある曲輪になります。
城下や周辺村々の民衆たちを敵の乱取りから守るための避難場所だったらしい。
大きいといえば大きいですが、ここだけで村人全員入るほどだったんですかね?

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山の神曲輪からの景色
滝山城は全般的にこんな景色が見られるところが多いです。
なかなか見渡しがいいですよね

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天野坂を登りきったところまで戻り今度は右手に……つまり本丸方面に進みます。
まず見えてくるのは、こちらのコの字型土橋。
土橋にはしてはめっちゃでかくね?とか思ったんですが、
ちゃんと説明看板に当時はもっと狭かった旨かいてありました。
おそらく公園化するにあたり、安全を考慮して拡張したのでしょう。
後、コの字型と看板にはありましたが、どちらかというと階段状で、
何度も体の進行方向を変えさせるもので、
千畳敷のエリアから側面攻撃とかをしやすい構造に見受けられました。

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先程の近辺のエリアから下を覗いた写真。規模感伝わりますかね?
かなりの高さが有りつつ、段階的になっているつくり、
しっかり手入れされている(であろう)綺麗さなど、見ていて爽快な感じとなっております。
滝山城はこのような景色が見られるところ本当多くて良いですよ~

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千畳敷
さきほどの土橋を渡りきって左に見えてくるエリアで、城全体でも大きい敷地規模。
このエリアの北東には角馬出しがあり、北西は弁天池があります。

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ニの丸と二の丸馬出し(大馬出)への分岐点。
先程の千畳敷を一度出て、南側の道沿いに東に進むとこの道が見えてきます。
写真では少々分かりづらいですが、右に分岐点であることを示す看板がありますね。

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土橋
城中で見たものではこれが一番わかりやすいものでしたね
滝山城は色々なエリアに区切られており、各エリアはこのような土橋で区切られていることが多い。
まぁ、規模感は結構違いがありますがね。

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大馬出。でかい。
たくさんの城兵を配置、二の丸の入り口を集中的に防備する作りになっていたみたいですね。
他からは高台になっていますし、二の丸に行く西と東の道はどちらも土橋でかなり狭くなっていたし、
ここをかなり重視していたことが伺えます。

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大馬出のさきっちょのほう。
説明看板的には西と東の守りっぽい感じでしたが、
何故か南方面にも道が続いているように見えましたね……何故?

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信濃屋敷跡。
二の丸の東手にあるエリアです。

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信濃屋敷跡、大馬出、二の丸当たりに囲まれたエリア。
イメージ的には上記3つがコの字型のようになっており、その中のエリアと言う感じ。
池跡があるぐらいで緩やかな坂になっていますが、
当時はもっと急な傾斜だったのかな?と想像してみたり。

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城の東南側の一つの区切りとなるのがこちらの木橋。
信濃屋敷、刑部屋敷などの屋敷群の跡地への入り口となるところで、
ここは唯一尾根続きとなっているところみたいでした。
遺構類は明確に感じられませんでしたが、当時はきっと堅固な守りが固められていたことでしょう。

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信濃屋敷と大馬出の中間ぐらいに戻り、今度は二の丸に侵入していきます。

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二の丸の一部。
二の丸は結構広いエリアなのですが、道などでいくつかのエリアに分割されてしまっています。
また、二の丸入り口(3箇所)の防備はかなり厳重でしたが、
一度入ってしまうと普通に広いエリアってだけの印象で、目を見張るような遺構等は特になし。
写真は二の丸を東手側から入って見えてくる当たりの写真です。

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中の丸。
二の丸を越え、本丸の直前にあるのがこちらの中の丸と呼ばれるエリア。
ここに上がらず、本丸周囲を迂回して直接本丸に行くことも可能ですが、
狭い道な上にこの中の丸から見下される形になっているので、
ここを抑えず本丸に行くのは至難の業だったのでしょう。

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中の丸から本丸にかけられた橋。
狭い木橋が一本かけられているだけなので、
いざという時はここは遮断していたのは間違いないでしょう。

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橋を渡り本丸へ入ったところ。
キレイな枡形虎口になっているのが確認でき、
もし橋を遮断出来なかった時も考えられているみたいですね。

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本丸にある石碑。
ようやくさ本丸についたらお出迎えしてくれる立派な石碑。

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本丸はこんな感じで井戸があったり、小さな神社(?)的な物があったり。

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滝山城の本丸は何箇所からか上がれる様になっているのですが(たぶん4箇所)、
こちらは本丸と中の丸の間にあり、本丸へ続く階段。

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こちらは本丸の南側からの入り口で、こちらはやや規模が小さいですが、枡形虎口になっていました。

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中の丸から本丸への木橋を下から見上げたところ。
なかなか風情がある感じが良いですね。


以上、滝山城でした。
滝山城はキレイに整備されており、
城の構造もかなりわかりやすい上に随所に丁寧な説明看板あります。
また、規模も大きく今回写真で上げた所以外にも見どころがあるので、
強くオススメしたい城の一つですね!

では、今回はこのへんで~

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小金城行ってきた

2017-11-12 Sun 18:15Σヽ(゚∀゚;)トウコウ
2017年17城目は小金城に行ってきました。

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お城巡りは夏の徳島良好ぶりなんで、3ヶ月以上も空いてしまいましたね……
とは言え今週は3連休とかではないので、日帰り圏内の小金城に行った次第です。

さてそんな小金城ですが、
歴史としては千葉氏の家老原氏の重臣であった高城氏の居城らしいですby wikipedia
……そうなんか、初めて知った。
基本、城の配置と城主の知識が信長の野望からきている自分は
ここまで千葉氏の勢力圏だった事知りませんでした。
創造だとどのシナリオでも千葉氏の勢力圏じゃない&高城氏が城主じゃないですからね。

まぁ、それはいいとしてそんな感じの小金城に行ってきたので、
写真あげつつレポート書いていきます。

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近場の駅は北小金と小金城趾の2駅があるのですが、
自分は前者の北小金駅から行きました。

一応、遺構がないところも含め城の全体をぐるっとまわったのですが、
個人的には北小金駅から行くことをオススメ。
というのも小金城は大部分が既に都市部として取り込まれており、
遺構がはっきり残るのは大谷口歴史公園の近辺のみで、
割合で言うと全体の2割もないと思われます。

そんなわけで全体像が掴みづらく、
事前に入念な下調べをしていないなら達磨口後にあるマップを参照にし、
ぐるっと1周回るルートが全体像を掴みやすいと思うからです。
また、市街地で結構道が入り組んでいますが、
達磨口までなら北小金駅から北西の道を道沿いに歩くだけでつくので
迷う心配もないってのがもう一つのオススメ理由ですね。

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というわけで達磨口までのナビゲートを最初に書きます。
こちらは北口降りてすぐのところで、
写真中央に見える道を右、その後一番最初の曲がり角を左に曲がります。
斜めっているのでイメージ的には稲妻型で進む感じです。

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上記の道を曲がると鳥居が見えるのが目印で、
後はこの道を道沿いにまーっすぐあるくだけです。

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途中小道の階段をおりたり

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上記マンション見えても道沿い(前方左前)に進みます。

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ここまでくればOK。
というか、中央のミラーのすぐ下にある緑看板が達磨口であることを示す看板です。

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先ほどの看板奥のエリアにはいると
こんな感じで小金城達磨口であることを示す看板があります。
図の左上が小金城の縄張りなので、これを参照に後は周りましょう。
と言っても、最初にも言ったとおり遺構があるのは大谷口歴史公園ぐらいです。
後は地形的なアップダウン、家が建つエリアの区切り方などから各曲輪はここか!
ってのを楽しむのがオススメ。
遺構はないですが、地形的には結構このマップの通りなので回る価値はあると思います。

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先ほどの説明看板があるエリア。
ちょっとした曲輪になっているのが感じられますよ。

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達磨口から大谷口歴史公園へ行く途中の風景。
ちょっとわかり辛いですが奥が少し高台になっており、
こんな感じで曲輪が区切られ、防衛施設になっていたのかな?と想像できます。

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マップで腰曲輪と記載されていたエリア。
曲輪の上には幼稚園が建設されているみたいで、
流石に中に入ることはできませんでした。

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こちらは大谷口歴史公園。
入り口の写真とるの忘れましたが、いかにも公園って感じの入り口があるので、
そこにある階段を登って行きましょう。

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こちら小金城見どころの一つ障子堀。
堀底の障子は見受けられませんでしたが、
横に説明看板があるので詳しくはそちら参照ですね。

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障子堀の説明看板

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大谷口歴史公園の頂上。

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でっかい石碑があります。
石碑の左にある地図は現代と城の縄張りを照らし合わせたマップとなっており、
散策する上ではこれがかなり役立ちます。
どこまで行くかをこれで判断しこの後はめぐるのがいいですね。

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大谷口歴史公園を反対側に少し降りると見えるのが、
小金城もう一つの見どころの畝堀。
堀の方向と直行に連続した畝が堀だそうです(遺構としては見られませんが)。
全国的にも珍しいのと、北条氏勢力下の城の特徴でもあるらしいです。
こちらも詳細は近場の看板参照。

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大谷口歴史公園を登って来た時途中にあった道をいくとこのような場所にでます。
ちょっと開けた場所で、金杉口跡という虎口の一つだそうです。

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金杉口説明看板


遺構としてはこんなものですかね~
最初のほうにも言ったとおり、遺構としては少ないですが、
マップ見ながら地形を見るとどこがどの曲輪だったのか?
ってのが意外と感じ取れるので、現在の地図と縄張り図を両手に
ぐーるぐーる城の圏内を散策するのをおすすめです。
個人的には結構楽しめましたので。


以上、小金城でした!


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