ゆいにゃんの春ツアーが福岡だったので、
これに合わせて行ってきた一城ってことで
2019年3城目は名護屋城です。

知らない人だと名護屋城?名古屋城じゃなくて?っと思うかもしれませんが、
城好きの人には有名の城ですよね。
端的にいうと秀吉の文禄・慶長の役で拠点となったお城だからです。
そんなわけで場所的には九州の北北西、唐津市にあります。
一時賑わったとことは言え、それは上記の役の間くらいってことで、
実際のところ観光地として有名ではありますが、
そこまでアクセスが良くないのが実態。
公共交通機関を使う場合は博多空港から電車で1時間半で西唐津、
そっこからバスというのが王道ルートなのですが、
如何せんバスの本数は多くなく、電車とのタイミングが悪い……
本来なら車で行くことを想定されていますよね。
とは言え、基本お城巡りではレンタルカーを使わないペーパー人間なので、
手段を変更し唐津駅からレンタルサイクルコースを選択。
あんまりこの手段選択する人イないと思うので詳細は割愛しますが、
唐津駅にアルピノというお土産屋でチャリを500円(だったと思う)でかり、
往復2時間半かけてのコースです。
うん、俺頑張ったと思うわ。だいぶ山道でしたしw

唐津駅

アルピノ。唐津駅から徒歩1分程度でつきます。

レンタルした自転車。全部で10台くらいは貸出していたかな?
そんなわけで道中を省略して名護屋城跡!……の前に博物館。


模型とか
かな~りキレイ&規模のでかい感じの博物館です。
名護屋城博物館というだけあって、この城が作られたあたりがメインではありましたが、
もっと昔からの朝鮮との関係交えての資料があった感じでしたね~
上記写真にある名護屋城の模型とかはなかなかに圧巻の大きさでしたし、
当時を偲ぶ上では大変Good!
なお、観光バスで来ている団体が2組ほどいらっしゃったので、
結構人は多かったですね。

城址のエリアに入るとまずお出迎えしてくれるのがこちらの大手口の石垣。
遠目にも分かる通り結構な高さで中々のもの。
ちなみに出兵が終わった後は破却され唐津城に素材が使われ、
一揆のたてこもり防止のためにも壊したとあるので、
残っているものなのか復元したものかはちょっと定かではありません。



かなり整備されていることもあり、城址の各地にはこのような案内看板があります。
これを見ると当時の名護屋城はかな~~りの規模を誇っていたことがわかり、
築城時は大阪城につぐほどだったというのもなるほど……の内容です。
上記2枚目の写真は城址だけでなく各大名の陣屋あとまで記載されており、
いくつかのモデルコースが記載されており、散策コースも設定されている様子。
これは回りたいな―と思ったのですが、
如何せんチャリで来ている&当日中に博多まで戻らないと行けないので今回は断念。
割とガチでいつかゆっくり回ってみたいと思ったで、死ぬまでにはもっかい来たいです。
三枚目は各武将の軍役人数まで書いてある陣屋の詳細版。
全部で130程あり、如何に国を挙げてのプロジェクトだったのかがわかります。

先程の看板近くの一景。
ほんの一部ですが、これほど開放されたスペースがあることから
全体像が如何に大きいのかが想像がつくってものですよね。


最初の大手口のあたりか東出丸のほうに向かう道。
ゆるい坂になっていますが道幅もかなりひろいですし、
坂の右手がわには長屋の建物跡とされる広いスペースがありました。
あ、言い忘れましたが城址入り口のところで
入場料払う際にガイドマップはもらえます。
散策する上で非常に役立つので是非見ながら回りましょう。


先程の道を登って右奥に見えてくる東出丸。
出丸一個にしてもかなり広く、石垣類もかなり使われているもよう。
ただ、なんとなく珍しい作りだなっとも思いました。
坂は内側にあり、道は緩いストレートで登りやすい登り坂、
んでそこから出る形で出丸というのはあまり見たことないかな?
まぁ、素人目線でですがなんかそう思いました。


三の丸とそこにある井戸。
先程の東出丸が入り口になる形で、ここから馬場経由で二の丸に行くか、
本丸に行くか、城の裏手側にいくかの大きく3のコースがあります。
しかし、三の丸から直で本丸に行けるつくりになっているとは……
やはり実用性より権威的な誇示のほうがメインな感じなのかなーと感じさせます。


三の丸から馬場の入り口近辺にある三の丸櫓台。
なんでも名護屋内でも最大規模の櫓とのことでかなりの存在感を放つも納得ですね。

馬場。
三の丸と二の丸を繋なげる道で、本丸から一段下がったエリア。
他の城でも郭感をつなげる的な道はありますが、
写真を見てわかるとおり名護屋城のものは規模感が違います。
今まで見てきたとこだとこの半分くらいの道幅とかで構成されたものが多く、
またここまで石垣が潤沢にあるところもなかったです。
なので、最初見たときは、”おぉ!すげぇ!!”と圧倒されましたよ。

二の丸出て左手にいくとある絡手口で、見てわかる通り典型的な虎口ですね。
なお、この名護屋城には全部で5つ虎口があるそうな。

そしてこちらが二の丸。
この見渡すエリア一帯が二の丸で三の丸の1.5倍くらいあるんじゃないかな?
二の丸内には長屋建物跡だったり(画面左手)、合坂(石垣を上り下りするところ)
とかもあったのでじっくりまわってみました。

こちらは二の丸を奥の方に抜けたところにある船手口。
5つの入り口のうちここを含む2箇所が水に関する名前を冠しているので、
おそらく海手側だったのだろうと予測がつきます。

二の丸から遊撃丸への入り口となるところ。
遊撃丸は二の丸~本丸間にある郭ですね。
この3つの郭の入り口部はかなり隣接しているのですが、入り口自体は絞られ、
当時は門やらがたって防衛する仕組みになっていたんでしょうね。

遊撃丸。
当初名前的に遊撃部隊がいたりするところなのかな?とか安直に思いましたが、
実際は明国の講話使節の遊撃将軍という人が滞在したことから名前がきているらしいです。
なんか変わった名前だなーと思ったり。

遊撃丸と本丸に隣接する形で水手曲輪とよばれるところがあるのですが、その近辺の写真。
上記のようなこの城としてはやや細い道がくねくね曲輪の周りはうようになっています。



本丸&天守台
二の丸と同等かそれ以上のスペースを誇る本丸。
石垣、櫓跡、記念碑的なの等がもろもろあるのでじっくり見て回ってみてください。
(ここでは割愛してしまいますが結構多いです)
しかし、本丸が他のと比べて一番でかい平山城というのはなかなか珍しいですよね?
なので、上り終わった時こんな広いんかーいとちょっとビックリ。
なお、本丸から見える景色もなかなかのものでしたよ~
以上、名護屋城レポートでした!
城跡部だけでもめちゃ見応えありますが、陣屋跡とかみるのも楽しそうなので、
いつか時間をガッツリとって一日唐津周りとかやってみたいですね!